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ブロマガより怪文書寄り

僕たちは自由だ。【劇場版仮面ライダージオウ Over Quartzer 感想】

※劇場版ジオウネタバレ注意

 

先日、仮面ライダージオウの劇場版である『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』が上映された。平成ライダー二十周年記念作であり、平成最後の仮面ライダーでもあるジオウの劇場版ということで、盛り上がりも最高潮。サプライズゲストや特別演出を求めて右も左も大熱狂。普段ライダー映画見ない人もこぞって見に行く。それぐらいの熱量を少なくとも僕のTLは持っていた。

 

僕が見に行ったのは翌日の土曜日、「ジオウの映画はヤバい」という空気が流れ始めたあたりのことであった。正直に言うと、サプライズゲストは竹内涼真倉田てつをあたりだと思っていた。前回の平ジェネFOREVERの流れを汲み、メインとして扱われるドライブ編の主人公か、ボスキャラバールクスのオリジナルかの二択ぐらいしか思い浮かばなかったのだ。

しかし、実際はそんな安直なゲストではなかった。サプライズゲストの正体は木梨憲武仮面ノリダー木梨猛。ツイッターやスレなどで定期的に話題になる為、知ってはいたが見たことのないある意味レジェンド的存在である。彼の登場と同時に、それまで静かだった館内は爆笑の渦に包まれた。噂だけしか知らなかったわけだが、いかに人気なのかということを思い知った。常盤SOUGO/仮面ライダーバールクスの登場から流れが変わったがあそこで完全に切り替わったと言っても過言ではないだろう。

そこからはクライマックスへ向けて直行、何が何かもわからぬまま物語は終幕するわけだが、平常な気持ちで映画を見終わった人はほとんどいないのではないだろうか?肯定的であれ否定的であれ、なんらかの強い感情を抱いたはずだと思うのだ。

実際のところ、僕がこの映画を見終わって最初に抱いた感想は「やりたい放題しすぎやろ、頭おかしいんちゃうか?」である。

 

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ぼくの視聴後の検索履歴。

 

そしてあまりにもやりたい放題の映画であった為、映画に否定的な人間もいて当然だろうと感じた。なんならSOUGOのように、「醜くないか?」と感じる人間も少なからずいたと思う。

ハチャメチャで春映画を煮詰めたような内容、嫌いになる人がいない方がおかしい。しかし、それでも僕はこの作品を綺麗だと思ってしまったのだ。

というのも、ジオウの映画としての前作品である平成ジェネレーションズFOREVERとどうしても繋げて見てしまうからだ。

平成ジェネレーションズFOREVERの中で語られた「僕たちが信じる限り、仮面ライダーはそこにいる」というテーマ。FOREVERで強く印象付けられたこのテーマはジオウが終わろうとしている今となっても強く残り続け、Over Quartzerの中でも生き続けた。それによってOver Quartzer終盤で登場した仮面ライダーGや漫画版クウガといった多様さは、FOREVERのテーマを孕んだことによって更に翼を広げたように感じた。僕らの中に存在する仮面ライダーの可能性は無限大なのだと。むしろ僕らの信じるものが仮面ライダーなのだと。平成ライダーが、仮面ライダーが自由であるということは、僕たちが自由であるということなのだと。

つまり何が言いたいのかと言うと、僕らも仮面ライダーを好き勝手考えていいんじゃないかなぁと思ったのである。

最終的にこういうことを考えさせられる、とても作品外影響の強い映画だった。今日も僕らの仮面ライダーはどこかで戦い続けていることだろう。みんないつまでも仮面ライダーを好きでいようね

 

おわり